近所のおじいさんたち

先週の山仕事の合間、お昼前に近所のおじいさんの家の前を通りかかると、おじいさん方が何やら作業をしているので車を降りて様子を見に行きました。

いつも鹿の目撃情報を教えてくれたり、仲良くしてもらっている79歳と84歳の二人。

話を聞くと農機具を入れていた小屋を移築するので解体中とのこと。

 

 

 

ところでこの辺りでは、ちょっとした小屋から大型の車庫なんかまで、大工仕事も自分たちでやってしまう人がとても多いのです。この小屋も例に漏れず昔自作されたとのことですが、特に驚いたのは柱の木の切り出しから製材、加工まで全てをやって作ったと言うこと。つまり、山にチェーンソーを持って入って手頃な栗の木を切り倒し、角材に製材して加工して小屋にしてしまったと言うことなのでした。

 

まさに、こう言ったことが自分の憧れる百姓像。材料は身の回りで調達し、無駄にお金をかけずにできることは自分でやってしまう。しかも「自給自足」なんて肩肘張らずに、あくまで当たり前のこととしてやっている。

チェーンソーで製材した跡、組み立ての際に振った番号、自作のほぞ穴、「素人仕事だから大工みたいには出来ない」と少し恥ずかしそうに自作の痕跡を教えてくれました。

いえいえ、自分にとってこの痕跡は自らの手で作り上げたまさしくその証明。目をキラキラさせながら見入ってしまいました。

 

  

ついでにおじいさん方の育った頃の昔話に花が咲きます。

 

自分は炭焼きの子で、山中の炭焼き小屋で生まれた。生まれたのはどこどこの山、3歳の時にこちらの山に移ってきた。

(炭焼きは、炭になる木を求めて山を年々移動するため)

8人兄弟で、全員小屋で親にとりあげられた。

産湯は、漆の木を燃やしたお湯を使った。そうすると漆にまけない子になる。

昔はポンポン子供を産んだ。それ以外にすることがなかった(笑)

子供も多くて、一学年で50人のクラスが2つあった。(今は小学校全体で20名ほど)

 

こう言った話は、現代に育つ自分ではなかなか想像のつかない80年前の生活風景を想像する助けとなり、とても興味深くいつも色々聞いてしまいます。

新米百姓としてまだまだ教わることが沢山ある自分にとってかけがえのない師匠たちです。

 

 

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