11月19日、室山集落の旧道を歩く公民館講座が開かれました。
この企画は、妻が発起人となり公民館の皆さんの協力を得て実現したものです。
天気予報では、今年一番の寒さと言われていたけれど朝方は太陽が出ました。
20人弱の参加者が登り口である室山口に集まります。
各々名札をつけ、まず館長さんがご挨拶。参加者は地元佐見の方がほとんどでした。
案内人の清水千昭さんを先頭に子供達も着いて行きます。
下の方は植林されておらず紅葉や落ち葉がきれいです。
小さな炭焼き窯。こちらは今でも使われているそうです。子供達は初めて見るかな。
来年は佐見でも炭焼きをしようと思います。
山側は石垣。昔は田んぼだったんです。
先人たちが山を切り開き石を積んで田を作っていた跡が。
今はヒノキが植えられています。
こちらも。
大きくてどかせなかったであろう石を利用して、石積みがされています。
こちらも僕のお気に入り。
こんな沢のそばまで田んぼを作ろうとする貪欲さ(=貧しさ)。こんな大きな岩を利用する発想の柔軟性。
岩から生えるヒノキの太さが物語る埋もれてからの時間。
川側は石積みの歩道ですが、一部崩れてしまっていました。慎重に通り過ぎます。
昔の小学生の通学路は杉の街道のようになっています。歩くのが心地よい。
案内人の千昭さんたちが20年以上前に間伐した場所。
倒れたヒノキは苔むし、立っているヒノキが育って混んだ林になっています。もう今すぐにでも間伐した方が良いですが、木が安くなってしまった現在、なかなか手が入れられません。
苔むして見えないけれど、石積みの歩道。これはどれほど前に組まれたものか。
全く荒れていないと言う訳ではありません。倒木もちらほら。
室山の皆さんが今回のために事前に道整備をして下さっていて(本当にありがたいことです!)、
「伐ろうかと思ったけど、くぐるのも面白いかなと思って」と、そのままにしてくれた倒木。
子供達は遠足気分。
夏なんかは気持ち良さそうな沢沿い。きっと昔の子供達はこの淵で遊んだことでしょう。
千昭さんたちは、もっと上流の家の近くの沢で遊んだそう。
「(昔よく遊んでいた沢の、水の流れを変える)大きな岩が大水の時に流れてしまったなー」と室山の皆さんで話していたのを聞いたことがあります。
ふるさとと呼べる場所を持たない私は、そんな幼なじみと過ごした場所のそれからひとつの岩の記憶があるのを羨ましく思います。
橋が落ちた細い沢。
こちらも橋が落ちた大きな沢。山側に迂回して沢を渡ります。植林の影響か、水もちょろちょろと少ない。
少し明るくなってもうすぐ休憩ポイント。
角がある石積み。藪で見えないけれど、高さがあるので2段になっています。この辺りではあまり見ない積み方。
開けた棚田の脇を通り車道と合流します。
車道を占領して小休止。道の先は室山集落。車は来ません。
飴玉を補給して充電し終えた子供達が先頭を行きます。
こちらも棚田。背景には紅葉と松林、ヒノキの植林のコントラストが際立ちます。
再度車道から旧道へ。昔の道は人と牛馬しか通れない道。
落ち葉があるだけで子供は遊べる。針葉樹ばかりの白川町では、こんな場所も貴重です。
僕の作る棚田の作業道も、昔は立派な生活道でした。この日のために、石積みに生えた草を掃除しました。
何十年と佐見に住んでいても、室山に来る機会は滅多にない方がほとんど。色々な景色を見ながらゆっくり歩きます。
ゴール地点。集落最上部の六地蔵、226歳と乳岩。廃仏毀釈でこちらに疎開してきたらしい。
ここにあるのを知らなかった方も多く、一同眺めながらしばしの時間を過ごします。
そして、本当のゴール。各々の持ってきたお弁当と、僕たちや千昭さんが準備した豚汁と猪汁。火を起こして待っていてくれました。
おばさんたちの自家製漬物やみかんも回ってきます。
この頃には陽も陰り、寒風が吹いていましたが、火に当たり温かいものを食べてみんな復活。色々な話に花が咲きます。
案内人の千昭さん。現役の猟師さんであり、木こりさん。70年に渡って住むこの室山集落を案内してくれました。
このイベントを通じて、地元の方同士、子供と年配の方、都市の方と地元の方など、様々な交流が生まれていたようでした。
参加者のみなさんが楽しそうに目を輝かせながら歩いていたのが印象的で、長年佐見に住みながらも知らない場所を発見する喜びを感じているように思えました。
とても活気のある賑やかな会だったし、地元の良いところを発見できたんじゃないかな、と感じます。
車もまだ無いような時代に人々が歩いていた道や暮らしの痕跡は至る所にあり、それを発見することで先人たちの営みを感じる。
その場所を歩けるように手入れして、皆で歩いてみる。
小さなことだけど、地元への愛着とか環境に対する思いは、そういう所からから生まれるんじゃないかなと感じました。